2年後、アキーム・オラジュワンは、「Akeem Abdul Olajuwon」という名前でヒューストン大学へ入学した。アキーム・オラジュワンは、NBA入りする前に「Abdul」を名前から外し、1991年の3月9日から「Hakeem」が公に採用されることになった。
サッカーのゴールキーパー, ハンドボールの選手としてアキーム・オラジュワンのキャリアは始まったが、結果それらがバスケットボールにおけるフットワークや強靭な肉体とサイズのバランス能力を養うものとなり、アキーム・オラジュワンはヒューストン大学で驚くべきスピードで圧倒的な選手へと成長した。アキーム・オラジュワンは、ヒューストン・クーガーズで3シーズンをプレイし、毎年、チームをベスト4へと導いた。
1983-84シーズン、アキーム・オラジュワンは、平均16.8得点, 13.5リバウンド, 5.6ブロックショットに67.5%のシュート成功率を記録し、その内リバウンド, ブロックショット, フィールドゴールパーセンテージでNCAAで第1位となった。そのシーズン、アキーム・オラジュワンは、初めてオールアメリカンに選出されたが、NCAAチャンピオンシップゲームでは、パトリック・ユーイングを擁するジョージタウン・ホヤスに84対75で敗れてしまった。この2人は、10年後に舞台をNBAの頂点にかえて再び激突することになる。 |