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1990年代
アキーム・オラジュワン
 
 
名前 アキーム・オラジュワン
身長 7フィート (約2m13cm)
体重 255ポンド (約115kg)
引退した日 39歳

ナイジェリア出身のオラジュワンは、ヒューストン大学を卒業した1984年にドラフト全体1位指名でロケッツに入団。17シーズンにわたってリーグのトップセンターとして活躍し、94年、95年にはリーグ2連覇の原動力となった。
NBA史上、もっとも完成されたセンターと評されたほど、ポストプレー、相手をかわすステップワークに優れていた選手。


キャリア
Muslim Teachers 高校時代の特筆事項
オラジュワンは、15歳の頃からバスケットボールをプレイするようになった。オラジュワンの所属していたハイスクールは、ナイジェリアのバスケットボールトーナメントにエントリーしていたが、その当時、彼はハンドボールのチームに所属していた。しかし、仲間の学生らの懇願もあって、バスケットボールのチームでプレイするようになった。
Houston 大学時代の特筆事項

2年後、アキーム・オラジュワンは、「Akeem Abdul Olajuwon」という名前でヒューストン大学へ入学した。アキーム・オラジュワンは、NBA入りする前に「Abdul」を名前から外し、1991年の3月9日から「Hakeem」が公に採用されることになった。

サッカーのゴールキーパー, ハンドボールの選手としてアキーム・オラジュワンのキャリアは始まったが、結果それらがバスケットボールにおけるフットワークや強靭な肉体とサイズのバランス能力を養うものとなり、アキーム・オラジュワンはヒューストン大学で驚くべきスピードで圧倒的な選手へと成長した。アキーム・オラジュワンは、ヒューストン・クーガーズで3シーズンをプレイし、毎年、チームをベスト4へと導いた。

1983-84シーズン、アキーム・オラジュワンは、平均16.8得点, 13.5リバウンド, 5.6ブロックショットに67.5%のシュート成功率を記録し、その内リバウンド, ブロックショット, フィールドゴールパーセンテージでNCAAで第1位となった。そのシーズン、アキーム・オラジュワンは、初めてオールアメリカンに選出されたが、NCAAチャンピオンシップゲームでは、パトリック・ユーイングを擁するジョージタウン・ホヤスに84対75で敗れてしまった。この2人は、10年後に舞台をNBAの頂点にかえて再び激突することになる。

プロ時代(1984-2002)の特筆事項
・NBA ヒューストン・ロケッツ(1984-01) ・NBA トロント・ラプターズ(2001-02)
・NBAチャンピオン(1994、95年);
・NBA決勝MVP(1994、95年)
・NBA MVP(1994)
・オールディフェンシブファーストチーム(87年、88年、90年、93年、94年)
・プレーオフ165試合に出場し4104リバウンド(1試合平均24.9リバウンド)
・オールスター出場(12回)
・オールルーキー1stチーム
・オールNBA1stチーム(6回)、2ndチーム(3回)、3rdチーム(1回)
・ディフェンシブプレイヤー・オブ・ザ・イヤー(2回)
・オールディフェンシブ1stチーム(5回)、2ndチーム(4回)
・アトランタオリンピック金メダル
・NBA 50th Anniversary All-Time Team (1996)
総得点
26,946点(1試合平均得点 21.8点)
総リバウンド
13,748リバウンド(1試合平均11.1リバウンド)
総ブロック
3,830回
総スティール
2,162回
総アシスト
3,058回

コメント

シャキール・オニールを剛とするならば、このアキーム・オラジュワンは柔のセンターである。
圧倒的なパワーを持たない代わりに、 それを補って余りある豊富なテクニックを持っていた。 彼は、新しいスピンムーブやフェイドアウェイシュート, ジャンプシュートを取り入れ、彼のオフェンスは事実上止められないものとなっていた。ベースライン沿い、ターンアラウンドから放たれる正確無比かつ、ブロック不能な打点の高いフェイドアウェイシュート。 “ドリーム・シェイク”と名付けられた、 とても7フッターの選手の動きとは思えない、 変幻自在なステップワークは文字通り無敵のテクニックだった。

18年間の選手生活を終え、古巣ロケッツの本拠地ヒューストンで引退を表明した際、たくさんの暖かいファンに囲まれる中、オラジュワンはこう話している。

「バスケットを始めてから今までずっと魅力的な競争を繰り返してきた。 競い合って、そして勝つためにね。ずっとゴールなんて置いてなかった。 ただ昨日よりも良いプレイヤーになりたかっただけだよ。

今こうして皆が僕のやってきた事を集めてきて称えてくれる。 まるで現実の事じゃないような気持ちさ。誰か別の人の事を話してるんじゃないかって思う。

自分でもいつからそう呼ばれるようになったかわからないのだけど、 僕の人生はまさに夢のようだね。

ずっと先だけを見続けてきた。引退が別に終わりじゃない。 生きている中で次の段階への始まりなのさ。」

 
 
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